スタッフ君は、東京弁しか話せないそうだ。かわいそうに。
仕方なく気仙沼弁を教えることにした。ちょっとバイリンガルな気分だ。
「まずは、何か話してくれませんか?」と言うので、
それを気仙沼弁では「なにが、話してけんねべが?」または、「話してけらいん」とくる。
「けんねべが?」「けらいん?」スタッフ君、大爆笑。
「行ってくれますか?」は、「行ってける?」または、「行ってけんね?」、丁寧にすると「行ってけんねすか?」
「ける?」「けんね?」「すか?」スタッフ君、涙がこみあげる。
「そこに行ったでしょう?」疑問文でありながら、同意を求める場合は、「行ったすぺ?」「行ったっちゃ」となる。
「すぺ!」「ちゃ!」スタッフ君、呼吸困難に陥る。
さぁ〜て、次は、と言うと、スタッフ君は、「ヒィ〜〜、もう、やめて下さいよ」と言うから、
「やめでけろ〜〜」「おだづな〜〜(ふざけるな)」と言うと、スタッフ君、涙目で、ピクピクとひきつる。
かなりのカルチャーショックのようだ。
気仙沼弁は、奥深い。
例えば、「オヤマの弟」は、「オヤマのシャデ」と言う。シャデは、「舎弟」がなまったもの。
「オヤマの奥さん」は、「オヤマのおがだ」と言う。「おがだ」は、「御方(おんかた)」がなまったもので、平安調の響きを感じる。
東京弁(標準語とは異なる)では、「ふざけんなよぉ〜」「何、言ってんだよぉ〜」「なめんじゃね〜よぉ〜」と、語尾が「よぉ〜」で終わるのが一般的らしい。
それと比較すると、気仙沼弁の語尾は、「ちゃ」「すぺ」「けんね」「けらいん」など、様々な使い方がある。
スタッフ君は、それの分類を試みたが、難しくて断念した。
そこで、私が思ったのは、東京は、地方から集まった「寄り合い所帯」なので、地方から来た人間にもわかりやすいように、語尾の統一化がなされているのではないだろうか?
それに引き換え、地方は人間の移動が少ない。よって方言は、長い時間をかけて形成され、その間に、複雑な進化をとげている、のではないだろうか?
「来週は、この続きをやるから」と言うと、涙目で「もう勘弁してほしい」と言う。
「いや、いや、次は、初心者クラスとして、挨拶からやろう」
さぁて、宿題、「はだでで、いがなくてもいっちゃ?」はどういう意味でしょうか?