28. バイトが決まらぬ頃 (1998.12.11)

23歳にもなるのに、私は、バイトが全然、決まらない。
電話や面接で、ことごとく落ちる。落ちる理由がわからない。何がいけないのか。。。
高校受験も短大受験も落ちたことがないのに、バイトの面接では、まったくいかん。悲しい〜。

今にして思えば、なのだが、おそらく、高ビーだったんだろう。
「女子大生」という感じがプンプンしていたに違いない。
洋服もバッグもブランド物できめていたし、話し方もよろしくなかっただろう。「こんな奴は使えない」と面接担当者が感じたと思う。

ブランドのバッグを持って、受ける先は、軽作業のいわゆる、あまり学歴とかそういったことに関係のない職場ばかりだった。
なぜ、そういうところを狙ったかというと、「バンドマン=苦労人」という図式が自分の頭の中に出来上がっていた。バンドマンはOLなんか、やれない、と思ったわけだ。

それと、もうひとつ理由がある。その頃、歯並びの矯正治療をしていた。バンドデビューの時に、美しい歯並びが大事だと思ったんだ(いや、本気で思ってたんだな)。
ニッと笑うと、ギラギラッっと銀色の金具が見えて、変な奴だった。近ごろは大人でもそういう人を見るけれど、当時は、「なんだぁ、こいつ?」という感じ。それでいて高ビシャなんだから目もあてられないな。

しかし、こうもバイトも決まらないとは、予想外だ。お金は底が見える。私は「自分が認められていない」ことを悟り、絶望感でいっぱいだ。電話で話す声もトーンを落とし、自信がなくなっていく。
結局、今まで贅沢できたのは、「親のおかげだった」ことに、やっと気づく。

田舎では、「マルキの娘(もしくは、孫)」と言われた(注:マルキはうちの屋号)。
それは、まるで古典で習った「その昔、女は名を名乗ることが出来ずに、藤原定家の母のように、男の付属品として呼ばれた時代」のようで、とても嫌だった。「私は私だ」と思っていたが、やはり「〜〜の娘」でしかない。それまでチヤホヤされていた自分は何だったんだろうか?

人と話すことが出来なくなってしまった。でも、生活しなければいけない。悩む。
と、その時、チラシに「内職者求む」とある。家で仕事が出来ます。しかも高収入。
「わぁ〜い。これだ、これしかない!」

つづく...