朝を迎えた。
一晩中、水と戦った。
さっきから、7時になるのを待って、何度も時計を見ている。
心も身体もクタクタ。
頭の中では、「絶対におかしい」というフレーズがリフレインしている。
7時になったら、すぐに電話をするんだい!
う〜む、誰に電話するのがいいか?
管理人さんにかけても、また迷惑がられるかもしれない。
ここはひとつ、ビジネスライクにビルメンテ会社に電話しよう〜。
「もしもし。かくかくしかじか、コーで・アーで」
「え? まだ止まらないんですか?」
お、昨晩、来てくれた人のようだ。それなら話は早い。
「そうなんです。別の原因があるんじゃないですか?」
「わかりました。調べてからご連絡します」
一筋の光が見えてきた。
水との戦いは、想像を超える。
ありったけのタオルと雑巾をしき、水でぐっしょりになると、絞り、絞りすぎて手が痛い。
もう絞れない、と思った時点から、脱水機を利用して絞ることに切り替えた。
何度、脱水機を回したことか。
バケツの水を流しに捨てた回数は数えきれない。
それもあとわずか・だな。
..............ん? おかしいんでないの?
もう8時過ぎちまったぜ。遅いんでないの?>総合警備保障さん
再び、催促の電話。
ビルメンテナンス会社は、別の人の声。夜勤から昼間の人への交代でもあったのか。また最初っから
「かくかくしかじか、コーで・アーで」
「え? そうなんですか?」
「そう・だん・です」じゃなくて、「早くなんとかして欲しい」(言葉もぶっきらぼうになる)
「すぐに連絡を取ります。私は○○と申します。」
お・そういえば、さっきの人は名も名乗らなかった。こっちも聞く余裕がなかった。
むむむ、さっきはバイトか新人か? 使えない奴だったな。
またしびれが切れそうになるほど待ったあげく9時前に、管理人さんから電話が入る。
「まだ、止まらないですか?」
「止まらないどころか、被害が増大し、一睡も出来ないし、とっても困っている。原因も別にあるのではないか?」
「今、8階の人の被害報告も受けたところなんです」
え? 8階???
私の部屋は10階にある。水漏れを起こしたのは、11階の住人らしい。
それが、10・9・8階まで水が浸透しているのだ。すごい被害。
そこで、管理人さんも「ただごとではない気配」を感じ取ったようだ。遅いんだってば。
11階の連絡先は、会社の電話で、誰も出ない。
大家さんに電話しているが、まだ連絡が取れずに鍵を開けられない。
「あとは、壊して入るしかないな」なんて言ってる。
「壊して入ってください」と私。
絶対に原因は別だってば。中でどこかのパイプから漏れてるんでないの?
「水は、どのくらいでバケツがいっぱいになるか?」なんて質問をされる。
「だいたい1時間あれば、バケツがいっぱいになる。それが何カ所にもあるから、ずっと、どこかの水を捨てていて、目が離せない」と言った。
「え? 1時間でいっぱいになるの? それは水の量が多いな」
「私も朝ご飯も食べてないので、これから連絡して、行けるようならそちらへ行きます」と管理人。
この言葉ってやっぱりヤバイよね。
雪印事件の時も、トップの発言に
「寝てないんだ」発言があった。
今日は、管理人さんに「朝ご飯、食べてないんだ」発言をされ、沸点に達した。
「こっちは寝てない・ろくな物も食べてない。ひたすら雑巾とタオルを絞っての一夜なんだよ」
「おまけに髪もTシャツも水でぐしゃぐしゃ、いろいろな物が水に濡れてしまった。神経もボロボロ。たかだか朝ご飯がなんだよ〜〜〜〜」
もう、この人に何を言っても話しが長くなるだけなんだな。
とにかく、どうにかして欲しい。
気丈にバケツを運び、タオルを絞り、新聞紙を敷き、新しく水が漏れてないかチェックし、布団へしのびよる水をどうにかくいとめ、格闘を続ける。
気が付くと11時をまわっている。
さすがにお腹もすいてきたことと、終わりの見えない状況に、いらだって来る。
今日は日曜日。やりたいこともたくさんあったのに。
部屋は足の踏み場もない
その時、ピンポーン。
ふいにチャイムがなる。
開けると管理人さん。
「今、8階も見てきたんです。いやぁ、結構、漏れてますね」といいながら、部屋を見わたして絶句。
「こりゃ、ひどいな」
---だから、大変だって、あれほど言ってるじゃないか。
「11階も見てきたんですけど、昨日、総合警備保障の人にキチッと締めて、といったバルブのうちの1つがゆるかったから、どうやらそれが原因だと思うんです。今、ちゃんと締めてきたから、水の勢いは落ちていくと思うんですけど、どうですか?」
「変わってないみたいなんですけど〜〜〜」
「ま、もう少し、様子を見ましょう。ところで、写真撮りました?」
「いえ」(実はデジカメで撮影していたのだが)
「保険の提出用に写真を撮っておきましょう、いいですか?」
「どうぞ、どうぞ。」
ん、管理人さん、靴下をはいている
「靴下がぐしゃぐしゃになりますよ」と言ったが、「大丈夫」と言って一足踏み出した途端に、「ヒヤ(塗れてる)」って。言ったじゃないかい。この辺一帯が巨大な水たまり。
被害を説明しつつ、写真を撮ってもらう。
「いやぁ、これまでの被害の中で、一番すごいな〜」
「ヒィー、こっちまで来てる。全壊だな〜」
「これは温水タンクだけではないかもしれないな〜」
とりあえず、いちいち相づちを打っておく。
だから、ずっと「おかしい」って言ってるじゃないかい。
一通り、写真撮影が済むと、
「これは、別の原因があるかもしれないから、ちょっと11階の人と連絡を取ってみます。」
やっと、動く気になってくれたか。今度こそ、何か手を打って欲しいものだ。
また、セッセと労働する。
捨てても捨てても、なくならない水・水・水。
水の被害というのは、かくも大変なものなのか。
天井と壁のあっちこっちから吹き出してくる。バケツにしたたった水は、跳ね上がり、あたり一面を濡らす。
壁の白いクロスは、ところどころが吹き出す水ではがれてしまった。流れ出る水は透明ではなく、薄い茶色だから、白のクロスに茶色の水滴が、汚らしい模様を作る。
クロスがはがれて
またチャイムが鳴る。
開けると、管理人さんと見知らぬ男性。
「上の階の方が、ご挨拶したいとおっしゃるので」
言われて見ると、上の階の会社経営の人だ。
「どうも、申し訳ありません。昨日の昼まではトイレを使っても大丈夫だったんですけど。土曜日なので、午前中で帰ってんですよ。いやぁ、全然、知りませんで」
え? トイレ? 何の話?
聞き返すと、トイレのどこかのネジがゆるんでしまい、そこから水が漏れていたそうだ。
「今は、すべてのバルブを閉めたから、これ以上の水が出る事はありえない」
平謝りにあやまる上の階の方。
怒りが頂点に来ているはずだが、この人も困惑しているだろう。
「はぁ」とか、「ええ」とかの返事しか出来なかった。
その後、やっと水のしたたりは終息に向かい始めた。
本当に終息に向かっていると実感したのは、3時をまわってからのこと。
もし、昨晩11時頃に「トイレのネジ」とやらを巻いていたなら、こんなに被害が大きくはならなかっただろう。
なぜ、ビルメンテ会社の人が、そういった予測が出来なかったのか?
プロとして仕事をしているくせに、まったく素人と同じではないか?
鍵は、借り主と大家さんしか持っていない、というきまりはわかるが、非常事態にはどうするか、という危機管理が全くない。
下の住人からみると、水の漏れ出る位置から考えて、温水タンク以外の場所から漏れていることは、素人でも予測がついた。
まずは現場を見ることは鉄則ではないのか?
なぜ、事実を見ることにこんなに時間がかかってしまったのか?
そして、建物も古いのだから、もっと徹底したビルメンテナンスをしないと、あっちこっちで漏水が発生するのではにないか?
今、これを書いているのは、発覚から24時間後の9/3 22:00。
まだ、数カ所から水がしたたってはいるものの、ゆっくりとした速度はバケツをいっぱいにするには、かなりの時間を要するだろう。
ポタポタとせかすような音はなくなり、ヒーリング的なサウンドが、気持ちも整えてくれる。
あ〜、この1日の長かったことを思いながら、戦い後のボロボロになった部屋を見わたす。
何のために、今日があったのだろうか?
今日の事は、何の教訓にすればいいのか?
そこまで考えるには、あまりにも呆然としているし、今後のことを考えると頭が痛い。
明日は、修理の事などを話し合わないといけないだろう。
今日は、ゆっくりと、ぐっすりと眠ろう。