94. 本格派・気仙沼弁---15 (1999.5.23)

気仙沼に帰ると、「あれ、こんな道があったっけ?」とびっくりすることがある。
おもえば東京に移住して20年余、その間にいくつかの道路が出来た。
最近になって知ったのは、安波山(あんばさん)トンネルだ(遅すぎる? ハイ)。

安波山(あんばさん)は、気仙沼を代表する山。
日本といえば、富士山、気仙沼といえば、安波山(あんばさん)。
私の部屋の窓から安波山が見える。いつも寝ころびながら見上げて過ごした。

まさか安波山にトンネルが掘られていたとは知らず、一人あわてる。
どのくらい驚いたかといえば、富士山にトンネルが通ったくらいに驚いた。
むしろ富士山にトンネルが通ったとしても、「そういう時代か」とテクノロジーの進化に納得するかもしれないが、なにしろ気仙沼人にとっての安波山は神聖な山であり、そのお腹にすっぽりと空洞が出来てしまったと思うと妙な気分だ。

さて、トンネルを利用すると、かなり時間が短縮されることがわかる。
その昔、祖母は、気仙沼の郊外「鶴が浦(つるがうら)」から気仙沼の中心部・魚町(さかなまち)に嫁に来た。山を越えずに舟で嫁入りしたそうだ。
祖母は、NHKの「おしん」の中で、おしんが舟にゆられて旅立つシーンを見ると、必ず大泣きする。

祖母が言うには、「ぜえごたろだがらっしゃ、いびられだんだおん」(田舎ものと言っていじめられた)そうだ。
山を2つ3つ越えただけで、「ぜえごたろ」(田舎もの)と言われたのだから、かわいそうなものだ。
東京人からみれば、「どっちも気仙沼じゃないの?」と不思議がるだろう。
しかし、テレビのない時代に山をひとつ越えると、言葉が違う。文化も違う。
戦前の話ですよ。現代は、伝わる速度がどんどん増している。

さて、「いなか」のことを「ぜえご(在郷)」と言う。
「いなかもん」は「ぜえごたろ(在郷太郎)」

東京で驚いたのは、東京人は、東京以外すべてを「いなか」と呼ぶ。
「いなかはどちら?」というのは、「どちらの出身ですか?」という意味だ。
(Where are you from? かな)
「私には、いなかはない」は、「私には(東京以外の)故郷はない」という意味だ。

気仙沼では、「いなか=ぜえご」は、少々バカにしたニュアンスがあり、あまり使わない。
それが、いきなり「オヤマさん、いなかはどちら?」と聞かれ、「ムッ」。
「気仙沼は、ぜえごでないおんね」と反発したが、相手は、「何をそんなにムキになって」という感じではあった。
東京に住んで長くなるが、いまだに東京以外のことを「いなか」と呼ぶことには抵抗があり、使わないことにしている。

さて、祖母のいいまわしに注目していただきたい。
「ぜえごたろ/だがらっしゃ/いびられ/だんだおん」
前に「〜〜してっさ」と、語尾に「っさ」がつく用法を書いたが、それを「〜〜してっしゃ」と「しゃ」を用いる人もいる。よ〜く聞くと「っさ」と「っしゃ」の間の音で、発音は難しい。

「だんだおん」は、リズミカルでいいでしょ?
ドラムをたたいて、メロディをのせたくなる。
気仙沼弁の「オン」は、これ事態がリズミカルだが、その前につく言葉とあわせて、より一層、ハネた感じになるのがよい。

ふふふ、これを読んでくださっている方、ネイティブ気仙沼弁を聞いてみたくなったっちゃ?
ほんでまだねぇ〜。

つづく...