昭和40年の始め、上の叔母が結婚した。
祖父は考えた。
「これからはサラリーマンだ。お給料をきちんともらえる人がいい。」
銀行員に嫁いだ叔母は、御乳日傘で育てられ、稽古事はひととおりやった。
しかし実際の家事労働はもっと地味で、旦那の靴をみがくなどの現実には愕然としたそうだ。
そういうことはお手伝いの人がやることだと思っていたのだ。
オヤマ家は、かずちゃんが嫁に行った後、とうとうお手伝いの人は来なかった。高度成長の日本では、お手伝いさんのなり手がない。
さぁ、うちの中が大変。
家じゅう、指示する者ばかりで働き手がいない。みるみる間に荒れていく。
娘の教育方針は突如、変更された。
「リーコちゃん、これ洗って。そこを拭いて。これを持っていって」
「ひぃ〜、なんであたしなのぉ〜〜? 自分でやってよぉ〜〜」
大人は指示することに慣れているから、自分ではやらない。
私は、お嬢ちゃんから一変してお女中に格下げ。
その頃の愛読書は「シンデレラ姫」や「小公女」だったことは言うまでもない。
「世の中は確実に変化している」と小学生にして思っていた。
今も、なぜか自分から変化を作ってしまうのは、この頃の事が基盤にあるのではないだろうか?
変化がなくなると、妙につまらなくなってしまうのだ。
つづく...