所用で故郷に帰った。
盆、暮れには必ず帰るが、それ以外のいわゆる普通の日に帰るのは、久しぶりだ。
駅に着くや、母校の制服が目に飛び込む。
ああ、変わらない! あれは私達の制服。
詩人で、作家で、エッセイストの白石公子ちゃんは、高校の同級生だ。
公子ちゃんは、エッセイの中で、その制服に憧れていたと語る。私は、と言えば、実は気に入ってはいなかった。
だいたい、セーラー服のリボンがうまく結べない。立てむすびになったリボンと、日に焼けた黒い顔が写真に収まっている。修学旅行も学園祭も。ちっとも似合わない。かわいくない。それを見るたびに、なぜ、こんな制服なんだかなぁ〜と、ため息をついた。私服にしてほしかった。自由が欲しかった。制服は、私の10代のやるせない気持ちの象徴だったかもしれない。
20年か、早いなぁ〜。
忘れていた時代がパァ〜っと広がる。おもわず、頬がゆるむ。
どうにもアレンジの出来ない制服なのだ。しょうがないから、バックなどの小物に工夫をし、自分らしさを演出した。駅で見かけた彼女達も、どこかに密かなるオリジナリティを加えている。
悔しいけど、私達よりかわいい(かもしれない)。
家に着くや、一気にその話しをした。
すると母が「あの制服は私の時代に出来たんだ」と言い、そうして、懐かしい目で宙を見る。
へぇ〜〜、母も同じものを着て、胸にリボンを結び、そして10代を過ごしたのだ。
あんな、どんくさい制服....と思っていたが、なんだか、ずっと存続して欲しくなった。
公子ちゃん、制服保存会でも作ろうか。