気仙沼では「ありがとう」の代わりに「どうもね」と言う。
父が言う「どうもね」は、あったかい感じがする。
なぜだろ?
「どうも」の後の「ね」の部分に気持ちがこもっていたからかもしれない。
昭和28年からオヤマ家に「住み込み」で働いてくれたマーちゃんという人がいる。
私や弟はマーちゃんに育てられたといっても過言ではないほど、よくしてもらった。
昭和44年だったか、マーちゃんが結婚のためオヤマ家を出るまで、おしめも替えてもらったし、ご飯も食べさせてもらった。
マーちゃんの奥さんもとてもいい方で、弟は何度も新婚家庭に泊まりに行った。
そのマーちゃんと父の葬儀の時に話をした。
「リコちゃん(私のこと)、あんだ、お父さんにおごられだ事あっか?」
「う〜ん(ちょっと考えて)、ないんだね」
「ほんだべ。俺もないのっさ」
「社長がいたから、俺は50年も勤められたんだね」
マーちゃんは勤続50年で、一昨年、退職をした。
父は本当に穏やかな人で、人をしかったり、声を荒げて怒るということがなかった。本当は暴れたいこともあっただろうに。
亡くなる前の日に、マーちゃんが奥さんを連れて病室を訪ねてくれた。
父の今度の入院は「ちょっと点滴する」程度だったので、ほとんど人に話していない。マーちゃんにも入院してることは告げてなかったので、母が驚いて
「マーちゃん、どうして(入院のことが)わかったの?」と聞くと
「家を訪ねたら留守だし、郵便物もそのままだから、もしかしたら病院じゃないかと思って」と言う。
たまたま奥さんの定期検診で公立病院に来たので、
「病室の名札を片っ端から見て歩いていたら、社長の名前があった」そうな。
「社長・・・」と危篤状態の父に絶句した。
意識不明の父がマーちゃんのことはわかるらしく、まぶたがヒクヒクと動く。
「社長、がんばらいや」とマーちゃんが声をかける。その声が涙でふるえる。
あとで母から聞いた話。
ある日、父が突然、「マーちゃんの家に行く!」と言い出したそうな。
「どうして?」と聞いたけれど「行く」の一点張り。
「急に行ったら、マーちゃんだって、困るよ」と言ってもきかない。
電話をかけてマーちゃんがいることを確認してから、母は父を連れて、汽船タクシーに乗って、マーちゃんの家に向かった。
マーちゃんの家の前は急な坂道になっていて、そこまでは車が入れない。
マーちゃんと汽船タクシーの運転手さんが車椅子ごと抱き上げて、家にあげてくれたそうな。
ちょうどその日は、マーちゃんの家のトイレと風呂のリフォームが完了した日だったらしい。
マーちゃんの奥さんが病気をしたこともあって、退職金などでリフォームに踏み切ったそうな。父はそのことを知るはずがない。
マーちゃんも驚いて、「社長、リフォームのこと誰から聞いたの?」とたずねたが、
父は「いや、何も知らなかった」「偶然だ」と笑ったらしい。
そして、快適になった家を見て、
「いがったな〜」「マーちゃんの稼ぎが見えたな〜」と言って安堵したとのこと。
マーちゃんと父は不思議な縁でつながっているんだな〜。
病室の父は(すでに会話は出来なかったけれど)マーちゃんに「いろいろ、どうもね」と言ったように見えた。