今月6日、父が亡くなった。
私のこれまでの人生の中で最大のショック。
父の呼吸が止まり、心臓マッサージが始まるや、涙があふれ、「ご臨終です」と告げられてからは涙が止まらず、母と一緒に泣き続けた。
泣きすぎて頭痛がして、そのうち吐き気がして、そして倒れるように寝込んでしまった。
その後の儀式、身内の通夜→火葬→通夜→葬儀→納骨(注釈:気仙沼では通夜の前に火葬を済ます)の間は、涙を一滴も流さずに、それなりに気丈にしていたが、それから時が経ち、ジワジワと悲しみと寂しさがこみ上げる。肉親を亡くすというのはこういう事なのか。
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実家は商売をしていて、そこでいつも使うタクシー会社がある。
汽船(きはんせん)タクシーだ。
私が幼稚園の頃にはすでに使っていて、ピアノのレッスンの帰りに、誰も迎えに来てくれない時にはタクシーに乗って帰っていた記憶がある。
汽船タクシーの電話は、市内局番の後が1234なので、子供にも覚えやすい。
亡くなった祖母が病院から帰る時に、迎えを呼ぶための家の電話番号を忘れてしまったが、汽船タクシーの1234は覚えていたので、それを呼んで帰って来たという話も残っている。
父は車の運転が好きで、愛車/トヨタのクラウンを運転してどこへでも出かけたが、脳梗塞を煩ってから運転を禁じられ、出かける時はいつも汽船タクシーのお世話になった。
父の通夜は(祖母の時は自宅で行ったが、狭い家に人が入りきれずに外に行列が出来てしまって迷惑をかけたので)葬儀場を借りた。
家から通夜会場まではタクシーを利用する。するとタクシーの運転手さんが父の思い出を話してくれた。
「社長さん(父のこと)が乗ると、こちらまで穏やかな気持ちになりました」と、別々の2人にまで言ってもらい、父は本当に穏やかな人だったのかと改めて思う。
こちらこそ汽船タクシーさんにはお世話になった。
父は2年ほど前から車椅子が必須になったため、タクシーに乗る時には、運転手さんが車椅子から立ち上がる父に手を貸してくれて、後部座席に座らせ、そして携帯用の車椅子をたたんでトランクに積んでくれる。いつも母が一緒なのだが、結構な重労働なため、母が手を出すよりも運転手さんの方が早いのだ。
目的地に到着すると、その逆の事がある。
トランクから車椅子を下ろし、父を手をひいて、車椅子に座らせてくれる。
いずれの運転手さんも嫌な顔一つせずに、心のこもったサービスをしてくださり、家族一同、感謝している。
さて、葬儀も終わり、家で祖母方の親戚と思い出話などをした後で、汽船タクシーを呼んだ。タクシーが到着するや運転手さんが、カチャッとトランクをあけて、サッと降りてきてくれた。
そして、叔父の顔を見ると、「あっ、社長さんじゃないんでしたね」と言って、申し訳なさそうに頭を下げた。叔父の姿が一瞬、父親に見えて、即座に降りてきてくれたのだ。いつもやっていたように...。
そのことに気付いた母と私達・姉弟は汽船タクシーさんに本当にお世話になったことを思い、そして多くの方によくしていただいた父の事を思い、また、目頭が熱くなった。