あのニューヨークの大惨事の時、皆さんは何をしていましたか?
夜10時少し前だから、まだ飲んでいたり、電車に乗って帰る途中だったり、ひとっ風呂あびてたり、ではないでしょうか?
私は、「よた話」を書いていた。
いつものようにテレビの映像だけを流して、「消音」にして、パソコンに向かっていた。
時々、チラリとテレビの画面を見ると、壮大な絵が広がっている。
新作映画の宣伝に違いないと思った。
今度はニューヨークが舞台か、と知ったふりをした。呑気であった。
「よた話」を書き上げ、あまりのくだらなさに、サーバにアップすべきかボツにすべきか迷いつつ、テレビの音を出すと、ニューヨークは本当に大惨事だった。
あわてた。
私の勘違いであって欲しいと願った。
が、それは現実だった。あまり慌てたので、くだらない「よた話」を勢いでアップした。
それから怒濤のようにメールがいきかった。
この恐怖を、そして興奮状態を誰かに伝えずにはいられなかった。
夏のニューヨークでご一緒したカメラマンのSさんは、取材のためハワイに向かって飛び立ったはずだとメールが届いた。
メーリングリストで「Sさん、Sさん 大丈夫ですか? 連絡下さい」と書いてある。
ニュースでは、ペンタゴンにも、そしてピッツバーグ付近でも飛行機が爆破したとあるから、恐怖が倍増する。貿易センタービルは、2つとも倒壊した。終わりのない恐怖が全世界を包む。
Sさんを乗せたハワイ行きは、1時間ほど飛んでから、成田に引き返したそうだ。
「滑走路にいる」と電話が入ったようで、安堵する。
一晩、成田で過ごして災難だったと、後になれば笑って話せるが、その時間帯には、かなりの恐怖であった。
我々の世代は、子供の時からテレビが映し出す映像におののいた。
1969年:「アポロ月面着陸」
1970年:「三島由紀夫の市ヶ谷駐屯地での割腹自殺」
1972年:「浅間山荘事件」
いずれの映像も鮮明に思い出される。
そしてハイジャックという言葉を知ったのは1970年の連合赤軍による「よど号事件」だ。
子供の頃にこれらをテレビで見た世代としては、テレビの前から離れられない。
行方不明の方が早く見つかりますようにと、繰り返し流される映像を見つめる。
そして、あまりの興奮状態に熱が出てしまった。
寝ても覚めてもうなされている。
多くの犠牲者の皆様のご冥福をお祈りいたします。