3/31 中村歌右衛門が亡くなった。享年84歳。
この日の東京は、満開の桜に雪が舞うという、まるで歌舞伎の舞台を彷彿させるような日。
大成駒の最後にふさわしい風景となった。
人間国宝・六世・中村歌右衛門 成駒屋
私が好きなのは、やっぱり「籠釣瓶花街酔醒」(通称:かごつるべ)の「八ツ橋」(やつはし)=花魁(おいらん)。
花魁道中に出会う次郎左衛門を振り返り一瞥する瞬間はゾクゾクっとする。
この瞬間(とき)の客席は、みな息をとめている。そして一気に「なりこまやぁ〜」のかけ声がかかる。
私が初めて歌右衛門を見た時、彼は、すでに60歳を越えていた。
おじいちゃんになっても彼が演じるのは、いつもお姫様や花魁(おいらん)など華のある役だけだ。
一級の女形(おやま)にのみ許される演目。
彼の消え入りそうな声を聴くために、客は音をたてぬように緊張する。
容姿を越えて、内面からにじみ出る若い女性の愛情・怨念・嫉妬、心の奥底を見事に演じきる。
最後に歌右衛門を見たのは1995年11月の歌舞伎座。
北条秀司が歌右衛門のために書いたといわれる「建礼門院」。
見てる間じゅう、息をとめていた。
そして舞台から立ち去った時に、不覚にも涙がこぼれた。
すでに体調をくずしていることを知っていたので「これが見納めになるのでは?」とよからぬ心配をしたからかもしれない。
それが現実となった。
歌右衛門の名前は、「現・福助」が継承するようだ。
名前ではなく本質でいくと、私は玉三郎の方がそれにふさわしいと思っている。
玉三郎が「先代萩」の「政岡」を初めて演じた時、そこに歌右衛門が見えた・気がした。
あとで何かを読んだら、歌右衛門が徹底的に指導したとあったので、「なるほど」とうなづけた。
三島由紀夫原作の「鰯売恋曳網」(いわしうりこいのひきあみ)は、(私の記憶が正しければ)歌右衛門のために書いたと言われている。
初演は、昭和29年歌舞伎座にて、(勘九郎の父)勘三郎と歌右衛門にて演じられた。
そして、こんにちでは、「勘九郎と玉三郎」の当たり役になっている。
こうして書いている間じゅう、歌右衛門の華やかな舞台が見えてくる。
歌右衛門を生で見ることが出来た事に感謝する。
ご冥福をお祈りいたします。