193. 祖父の命日 (2000.11.5)

今年は32回忌だ。
32回忌ともなると、身内でひっそりとというのが普通だろうが、父の弟妹は近くにいるから、なんだかんだで15人以上は集まったようだ。
最初の孫である私が列席しないことを、いつも後ろめたく思いつつ、遠方から祈る。

祖父は背が高かった。
6尺何寸とか言うから実際の大きさがよくわからないのだが、おそらくは180cm近くあったのではないか。
家の中の鴨居を通るとき、少しかがんで歩いた。
また、当時の棺桶は寸法が足りなくて、大急ぎで特注してもらったことを覚えている。
祖父を見上げる私はまだ小さかったから、ずいぶん大男に思えた。

祖父は、明治の人らしく「家長」だった。
風呂は一番先に入り、ご飯の時は、私達とは別の席で取る。
意見は絶対で、皆従う。

で、その祖父は、めっぽう新し物好きなんだ。
戦後のたいして裕福ではないオヤマ家には、テレビ、洗濯機、電話などの新しい物はそろっていたそうだ。
孫のおもちゃも大胆だった。
まだ2歳の私にはピアノ。
弟には、当時としては珍しかった子供が乗る車やサンダーバード1号〜4号までのセット。
他にも珍しいおもちゃがあった。ただ、数多くは買わないんだ。
これぞと思うものを「エイ」と買っちゃう。
無駄をすることをひどく嫌い、すぐに飽きてしまうようなおもちゃはダメだったんだ。
私達のおもちゃを目当てに友達がやって来ては、ピアノをガンガン鳴らしたり、車に乗って遊んだりした。

その中でも印象的だったのは、紙芝居にレコードがついているのがあった。
それのために、わざわざポータブルのレコードプレーヤーを買ってきた。
(ステレオはあったが、子供には大きすぎたし、それの所有者である叔父が子供には貸したがらなかったたんだね)。
私と弟は、レコードをかけ、祖父がお話にあわせて紙芝居をめくる。
紙芝居には、木枠(といってもプラスチックだったかも)がついていて、それに入れて見せるから演じる方は本格的な気分になる。

私には「ピーターパン」、弟には「オオカミに育てられた少年」かなんかの話。
臨場感あふれるサウンドと、きれいな絵は今もよく覚えているし、ビデオのない時代に、子供が何度も繰り返して見るものが他にはなかった。
慣れてくると、今度は私が友人を呼んで紙芝居をしてみせた。

紙芝居といえば、叔母達が育つ頃には、本当の紙芝居屋さんがいて、飴を売っては路上で紙芝居をしたそうな。その紙芝居を祖父は、家に呼んだ。
そして、オヤマ家の軒先で、紙芝居を上映してもらう。
近所の悪ガキ達がオヤマ家に集まる。
新しい物を買って、それを皆で共有することを好んだし、家に多くの人が集まることを喜んだ。
テレビを買った頃は、大勢の人が押し掛けたと、それは今でも語り草になっている。

従兄弟連中の中で、祖父の事を覚えているのは、私と弟だけなんだ。
他の従兄弟はあまりに幼かったり、まだ生まれていなかったり。
この記憶を他の従兄弟にも話してあげたい。

祖父がこの時代に生きていたら、お金がいくらあっても足りなかったね(笑)