実は、小学校から中学まで、絵を習っていた。
東京では「おえかき」と言うそうだが、うちの先生は「画塾」だ。
それがなまって、「がじゅぐ」と言う。
「おえかき」よりも「がじゅぐ」の方が、硬派な感じがする。
小学校低学年は、先生にお話を読んでもらって、その中から気に入った場面を想像で描く。
想像力がないと描けないが、先生がサンプル用に絵を貼っていてくれるから、それをまねてもよい。
不思議なもので、初めて描いた絵を今でも覚えている。
小学校にあがったばかりの私は、真新しいクレヨンで「砂浜にカニが遊ぶ絵」を描いた。
お話は、先生があらかじめテープレコーダーに録音しておいたのを聞かせる。
遅れて来た子のために、何度でもテープを回すから、最後までいる私は何度も聞く。
お話を聞くだけでも楽しいし、先生は絵に点数をつけない。全部の絵を平等に壁いっぱいに貼る。
それでも子供心に、「あれはうまいな」というのは感じるものだ。
先生は、何年か前に亡くなった。
先生の奥さんのことを「おばちゃん」と呼んで親しんだ。
生徒数も多かったのに、おばちゃんは、私のことを覚えている。
なぜならば、私は、描くのが遅かった。それも並々ならぬ遅さだ。
小学校高学年になると、人物像も描く。
モデルは生徒。モデルは、自分の顔を鏡に写して自画像を描く。その姿を他の生徒が描く。
私は、何度もモデルに指名された。
「先生、なんで、私がモデルなの?」と聞くと、
「一番先に来て、一番最後までいるから」だって。モデルとしてうってつけだった。
描くのが遅いのは折り紙付き。
しかし、一度として、せかされたことはない。
教室に、残り数人になると、先生は「ゆっくり描きなさい」と声をかけて自分の部屋に立ち去る。
描き終わったら、順番に「せんせ、おわりました」と声をかける。
先生は教室に戻って、ていねいに見てくれる。
「画塾」の生徒のほとんどは絵がうまかったが、私はさっぱりうまくならなかった。
絵の才能がないのだろう。
それでも「画塾」の空間が好きで、ずっと通った。
そして、とうとう、ただの一度だけ入選した。
その絵が卒業後も気仙沼中学校に残っていて、3つ下の弟が見せてもらったらしい。
唯一の自信作。
昨年から、ボケ防止のために、両親が絵を始めた。
なにを勘違いしたか、油絵もやっている。
決してうまいとは言えないが、味のある絵を描く。おもわず、笑顔になるような優しい絵を描く。
両親にもやっと、そういうゆとりが出来たんだな。