152. ミイラが紅茶を飲むか? (1999.11.15)

またまた、よくわからない事件が発生して、驚く。
医師の診断結果では、すでに死亡し、ミイラ化している「いわゆる遺体」を「死んでない」と主張する人々がいる。

これに関しては、テレビを通じて知る限りだから、知ったふりして余計な事を言うのはよす。
さて、難しいのは「人の死」を何で判断するか、ということかもしれない。

数年前に叔父が亡くなった。
叔父と私は13歳しか違わない。
末っ子として育った叔父に、突如、出現した小さな私のことを、妹のように気にかけてくれた。
というのも、オヤマ家が忙しい時節には、私は、母の実家である叔父の家に預けられ、私達は、年齢の離れた兄妹のように過ごした。

叔父は、末っこらしく破天荒な人生だった。
もちろん、私が影響されぬ理由がない。

叔父の危篤の知らせが入った日の朝、私は夢を見た。
それは市川コン監督ばりの綺麗な映像で、鎧をつけた戦国武将が、身体中を切りきざまれ、真っ赤な血を流しながら、立ち向かう姿だ。
私は、「もう・やめて〜〜〜」と泣き叫ぶ。
ふと気づくと、画面は変わり、あたり一面が緑の森になった。
その緑が美しくて、地球上にこんな美しいところがあったんだなぁ、と感動している。そんな夢だ。

叔父は、癌が転移し、何度かの手術の後は、手のほどこしようがなかった。
だから、あの武将は、手術によって身体じゅうに傷が入った叔父なんだ。
夢の中で、私を呼びに来た。

新幹線に飛び乗って、気仙沼に到着した時、すでに叔父は口がきけずにいた。
それでも、私の顔を見ると、笑って見せた。
「リッコ、なんだっけ、遅がったぞ」という声がハッキリと聞こえた。