今は、「ゆとりの教育、個を伸ばす教育」が提唱されているそうだ。
そこで、掛け算の九九は、昭和40年代(我々世代)の半分の時間になってしまった。
う〜む、それは、さぞや大変だろう。
私が九九を覚えた時は、こういう状況だった。
うちは商売をしていて、まわりに大人が多い。
「九九を習ってるの」と言うと、皆が応援してくれる。
私を見ると、「ににが?」と聞くから、「し〜」と答える。
「にさんが?」「ろく〜」「えらいえらい」とほめられる。
油断しているといきなりくる。ご飯を食べていても、いきなり「ご・しち?」とくる。
「ダメ、まだ3の段まで」てな感じ。
「なんだっけ、まだそんなどごがぁ? ほんで、おんちゃんがおせでけっから」
(なぁ〜んだ、まだ、そんなところかい。それでは、おじさんが教えてあげよう)
まわりの大人がおもしろがって、教えてくれる。
その協力があって、初めて、落ちこぼれずに九九が出来た。
しかも、先頭の方をいっていた。
そんな事は初めての事で、嬉しかった。
私は、歌でも歌うように、「ににがシ・にさんがロク♪」と言いながら、歩いた。
実は、意味なんかわかっちゃいなかったんだけどね。
九九を覚えるのは、ちっとも苦痛じゃなかった。むしろ、楽しい。
このことを振り返った時、やっぱり、学校や塾よりも、家庭の中に楽しく覚える環境を作ってあげる工夫が必要ではないかしら?
甥っこのよっちゃんが子供英会話に通ってる。
よっちゃんに「ハロー よしき」と言うと、。
「ハロー Mr.ムダファ」と、ハローの後ろに先生の名前がつく。
そこまでをひとつとして覚えているらしくて、おかしい。
やっぱり、意味なんかわかっちゃない。
ま、そのうち理解するのだろう。
私とよっちゃんは、顔を見れば、「ハロー」を繰り返す。
次に会う時は、どのくらいボキャブラリーが増えているか、楽しみだ。
私の通った「気仙沼小学校」は、丘の上にある。
子供の足で30分くらいかかる。
その間は、子供の遊び場だ。私は礼子ちゃんと一緒に通う。
ある時は、カスタネットを鳴らしながら、ある時はハーモニカを吹きながら、ある時は、笛を吹きながら、歩いた。そして九九を習った時は、ず〜っと、九九を言いながら歩いた。
子供は子供なりに、反復練習を楽しんでいるのだ。
大人が提示してあげなくても、子供は遊びを創るのが得意なのだ。
大人が指示を出しすぎるのもいかがなものか、と思う。
小さい頃から指示を出しすぎると、指示なくしては動くことが出来ない人間を量産していることに、早く気づくべきではないか。
そして、反復練習が必要と思えるものには、ある程度の時間の余裕を持つことも必要である。
そこをギリギリの時間数にしてしまっては、タイミングを逃した子がついていけなくなる。
そんなのは、「ゆとり」とは思えないけど、どうなんでしょうか?>文部省。