135. 地震の恐怖---3 (1999.9.23)

それから4ヶ月後、あの「宮城県沖地震」が発生した。
1978年6月12日午後5時過ぎのこと。

高校総体が終わった私は、部活をせずに早く家に帰るというリズムをつかめずにいた。
受験生なのに、勉強もせずに時間をもてあましている。

その日も、茶の間のこたつでお菓子を食べている。
気仙沼は、夏の少し前まで寒い日があり、6月でもこたつ利用するんだ。

すると、突然の大きな揺れ。
こっちが騒ぐ前に、母が、「ヒィエ〜〜〜」と悲鳴をあげ、猛スピードで走り、私の前を通り抜け、外まで裸足で出てしまった。
そしてまた「ヒィエ〜〜〜」とわめきながら、帰ってくる。
運動神経がまるでダメな母が、こんなに走れるのか、と驚いた。

事情を聞くと、ちょうど大揺れの時、トイレに入っていた。
トイレの壁がこっちに向かって迫ってくる(かなり、おおげさ)。
ま、たしかに壁のタイルに亀裂が入り、割れてしまったことが、恐怖に結びついたのだろう。
「これでは、生き埋めになる」と思い、あわてて外に出た。
すると、足もとの道路にバキバキと亀裂が入り、コンクリートに割れ目が入った。
それを見て、再び、あわてて家の中に舞い戻った、とこういうことである。

こういう人って一番、危ないよね。
さて、コンクリートの道路には、ス〜っと1本の地割れが出来た。
割れ目は、大きくはなかったが、それでもバックリと口を開き、数十メートルに及んだ。

家の損害は、風呂やトイレのタイルに亀裂が入ったり、割れたことで、修復工事を頼んだ。
それを思うと、その揺れは、やっぱりすごかった(家もボロかった)。
酒屋のエリちゃんの家では、酒ビンが倒れ、あたり一面、酒の海になってしまったそうな。
大損害だ。

父は、ちょうど車を運転していた。
いきなり、車が「ガガガ〜〜となったんだでば」
「う・故障が?」と思い、道ばたに寄せる。
車を止めたのに、まだ揺れているし、路上駐車の大型バイクが倒れたから、
「ハハ〜、これは地震だな、と思ったのっさ」と呑気な人だ。

身近な知り合いに、怪我人がなかっただけよかった。

つづく...