秋の行楽シーズンだ。お弁当を持ってどこかへ行こう〜。
弁当には、いろいろな思い出がある。
今でこそ、「オヤマはいじめっ子だったろう?」と聞かれるが、実際には、いじめられっ子の分類だった。
小さくて、おとなしく、かよわかった(え・信じられない?)。
幼稚園には、「ぶーふーうーの弁当箱」を持って行った。
食が細い私は、小さな弁当箱に、スカスカに入った弁当さえも残してしまう。
すると、いじめっ子がやってきて、「あ〜〜、先生〜、残してま〜す」と叫ぶ。
「ぜんぶ、食べねくてわがんねんだぞ」と隣に座り、見張る。
いじめっ子が目を離したすきに、蓋をし「食べたおん(半ベソ)」と、これを毎日、繰り返す。
母に少しだけ入れてほしい、と頼むのだが、
「だ〜れ、いっぺ食べねくて、おっきぐなれねんだよ」と厳しい。
そんなわけで、幼稚園の弁当時間は、恐怖の時間でもあり、やけに鮮明に覚えている。
最近の幼稚園児の弁当は、カラフルだし、材料を使って顔を描いたりするそうだ。
テレビで、そんな番組を見たことがあるし、弁当のための料理本も出ている。
きれいな弁当じゃないと、それはそれでいじめられるだろうな。
中学になると、再び弁当になるのだが、これが地味な色あいなんだ。
前日にお煮しめを作ると、タッパいっぱいにお煮しめが入っている。
蓋を開ける前から、茶色だな、と嫌な予感はある。
「お母さん、おかずにいろんなものを入れてよ。だ〜れ、お煮しめばり〜」と抗議すると、
「いろんなものが入ってるっちゃ。にんじん、こんにゃく、こんぶに椎茸....」
ということで、これが正しいと信じている母は、結構、お煮しめ弁当を作る。
ま、もっとも手間がかからないわけだから、楽なんだ。
さて、うちでは祖父の月命日をやるし、そんな行事ごとがあると、朝から「いなり寿司」や「おはぎ」を作る。
正確にいえば、「いなり寿司にお煮しめと漬け物」「おはぎと漬け物」などの組み合わせだ。
そんな日は、弁当を作る段になって、弁当用のおかずがないことに気づく。
母は、「おいなりさん持っていがいん」
「え〜、それしかないのぉ?」
「ない」
というので、しぶしぶ、いなり寿司(だけ)をつめる。
すると、意外にもこれが友人に好評で、ブツブツ交換が始まった。
「リ〜、私にもおいなりさん頂戴、かわりに鶏のからあげをどうぞ」ってな感じだ。
これは、ラッキー。
そこで、いなり寿司やおはぎの時は、大量に持っていくようになった。
高校の時には、五目ご飯で作ったおにぎりを相当数、持っていく。
これは最も評判が高い。
ま、それは女同士だから出来たわけなんだが、母は同じ事を弟にもやり、さんざん抗議を受けることになった。
「だ〜れ、ブツブツ交換なんて女みで〜なごど、やんねよ」
末の弟の時代は、カラフルな弁当が始まりつつあり、うちのお煮しめは、ことさら恥ずかしかったようだ。