あぽ〜日記:2003年1月


2003.1.31

●  20数年ぶり!

大学時代のサークルの先輩に20数年ぶりに会う。
一見すると変わってるように見えて、全然、変わってないよ〜ン。


2003.1.30

●  引っ越し・準備中

事務所が段ボールの山ダス。
ア〜!! こんなものが出たきた〜って、これじゃ進まないヨン(泣)

しばし・瞑想中(現実逃避)トホホ。


2003.1.29

●  しねま・でぃすぷれ〜

く〜〜〜・値段が下がりましたヨ〜ン。
23インチが249,800円。20インチが164,800円。17インチは89,800円。

PowerMacも一新!
AirMacExtremeに対応してるぅ〜。

詳細はアップルのページでご覧あれ。


2003.1.28

●  最初に買ったMac

引越の為、事務所内を整理していたら、初めて買ったMacの保証書が出て来た。
1991年6月9日 イケショップ MacintoshSE/30。
また捨てられずにそっと箱に詰めたよん。


2003.1.26

●  さよならボニート・ボーリング大会

先週・金曜日、最後の「ボニート・ボーリング大会」を開催した。
いつもは忘年会に開催するのだが、昨年の忘年会は新制テレパス忘年会となったので、今年度は「さよなら大会」となった。

優勝は、ハンディ委員長・太田君
真の優勝者(ハンディなし)は、S君(不動の5連覇!)。

私?
私は、ハンディをいっぱいもらって(そんなにいらんと言ったが、ゲームがつまらなくなるとかでつけてくれた)3位。ハンディ委員長の采配がうまい。いい勝負だった。

優勝者一覧
1998年度 オヤマ
1999年度 S
2000年度 K
2001年度 Y/td>
2002年度 O

●  ボニート物語 ---16

この頃「合併発表」が多い。
「合併」と「リストラ」が対になって発表されることが多いため、なにか暗いイメージがある。

「合併することになった。ボニートはなくなる。」と伝えると、「経営的に厳しいのか?」とやんわり聞いてくれる方が多い。

そうではない。経営的に厳しくなって合併するのではない。合併によってプラス効果があるから合併する。すでに業務提携による案件は始まっているし、なによりもスタッフがやる気を起こしているのは嬉しい限りだ。

これまでのボニートに足りなかった「開発部門」と「Webデザイン」を「合併」によって補えることで、ボニートがやりたくても出来なかった分野に進出することが出来る。

1月も残るところあとわずかになった。
ボニートをご贔屓にしてくださった皆様、ありがとうございます。
2月からはテレパスとして精進しますので、どうぞ、よろしくお願いいたします。


2003.1.21

●  ボニート物語 ---15

「合併しませんか?」という私の問いかけに秋山氏は驚いて、一瞬、凍り付き、その後で「一晩、考えさせて欲しい」と言った。

その翌日、私達は、むしろ合併によるデメリットをあげてみることにした。
メリットはいくらでも出てくる。
しかしながら、デメリットはいくら考えても出なかった。
あまりにデメリットが見えないから怖いぐらいだ。
何か大きく見落としていることはないだろうか?

互いの決算書を見て実態を見極めた。合併に関する書物を読み、この2社における合併が可能かどうかを調べた。合併を切り出した私から、テレパスを残しボニートは解散することと、秋山氏を代表とすることの2点を提示した。「合併」の話を切り出してから数日後、ボニートとテレパスの2社の合併を決定した。

その後、秋山氏が代表を務めるもう一つの会社「ティルダ」についての話し合いが行われた。株式会社ティルダは、株式会社レイズの代表取締役・中江氏と、テレパス株式会社の代表取締役・秋山氏の2人が代表を務める会社で、Webデザインを主たる業務としている。

設立当初は渋谷に事務所を構えていたが、諸事情があって、今はテレパス事務所の一部に机を並べていた。これを機にレイズかテレパスのいずれかに統合されるのがいいのではないかという話し合いがなされ、最終的には、秋山、中江、私の3人が集まって、テレパス・ティルダ・ボニートの3社の合併が決まった。


2003.1.20

●  ボニート物語 ---14

ボニートがやろうとしていることと、テレパスのビジネスモデルは非常に似ていた。

この数年間、秋山氏と私は頻繁に会うことがなくなっていたし、たまに会ってもお互いの仕事については話さずにいたから、同じ方向を向いて仕事をしていることに気づいていなかった。

yosou.jp」の暗唱に乗り上げた部分を「うちがやりましょう」と秋山さんが言ってくれた。テレパスとの共同作業の始まりである。ボニートにないものをテレパスは持っているし、その逆も言えた。それぞれの仕事の幅が広がりそうでワクワクした。

yosou.jp」を進めるうちに、お互いの利点を活かしつつ協力体制をとる「業務提携」を決めた。しかしながら、いざ「業務提携」の運用を考えると、やりにくい点はある。あくまでも別会社だという意識がある。仕事の進め方が違う。どちらかの会社に出向いての打合せは時間ばかりかかって進みが遅い。

ある晩、私が切り出した。「合併しませんか?」


2003.1.19

●  ボニート物語 ---13

会社を変革するにあたり、新しい企画を社内公募した。
わずかだが予算をつけるから何か考えてくれということだ。

新しい事を考え出すエネルギーはおもしろい作用がある。私もくだらない企画をいくつか発表しては「つまんね〜」と言われながらも、ない知恵を絞った。「こういうのはどうか?」と発表する時の皆の瞳が輝いている。

たとえ良い企画でもボニート内で実行出来なければ意味はない(外注するほどの予算はないから内策は必須条件である)。「それもいいんだけど、現時点では無理だね」というのもあった。

いくつかの案件の中から採用したのが「yosou.jp」サイトである。

ギャンブル好きの社員が予想をするための独自理論を形にしてみようと考え出した。当初の予定は「Macのソフト開発」だったが、皆で考えるうちにサイトでの公開(案)が持ち上がり、それもいいなと思ったので方向転換をした。

私はギャンブルとは無縁の人間なので「Goサインを出すとは思わなかった」と、後になってそういう話を聞いた。私は「皆がそんな事を考えるのか」と逆に驚いたりした。

yosou.jp」は何度も挫折しそうになりながら、どうにか公開前まで辿り着き、公開まで秒読みかと思われた最後の最後に来て、いよいよ行き詰まってしまった。 

ここまで来たのに、このまま終わらせてはいけない。絶対に最終形まで持っていくゾ。藁をもすがる思いで、秋山氏にメールした。
「こういうことをしたいのだが相談に乗ってもらえないか?」


2003.1.18

●  ボニート物語 ---12

西新宿はボニートのクライアントに近い。
仕事上なにかと楽だし、パソコンとその周辺機器を買うにあたっては、量販店が林立するので便利だ。地下鉄・大江戸線が開通し、交通の便はさらに良くなり、申し分ない。

ボニートの事業については、毎年悩みながらもなんとかやって来れた。
しかし、待てよ。
このまま「パソコンメンテナンス業」1本でいいのだろうか?
パソコンは年々、使いやすくなっている。これまでのやり方で、次の10年を乗り越えられるだろうか? 答えはNOだ。

平成14年(2002年)1月、ボニートは開発をメイン業務にするべく一新することを社員通達した。通達を出す前の年、平成13年(2001年)秋から具体案を考え、変革には2002年から2004年までの3カ年を当てることにした。私自身が勉強しなければならないことが山ほどある。何をどうすればいいのか手探りで出口が見つからない。私は、とにかくC言語の勉強を開始した。変革に向けて、とにかく一歩を踏み出した瞬間である。

ボニートは平成14年(2002年)6月1日、創立10周年を迎えた。


2003.1.17

●  ボニート物語 ---11

(有)テレパスの創立は平成4年(1992年)5月22日。
(有)ボニートの創立は平成4年(1992年)6月1日。

わずか10日の違いを知って、お互いに「へぇ〜〜〜!」と驚いたものだ。
話を聞けば創立の経緯も似ている。なにか不思議な縁を感じた。

偶然は重なるもので、平成10年(1998年)私が西新宿・青梅街道沿いに事務所を探していると、秋山氏も「その辺にいい物件を見つけた」という話になる。

「KFビルの701と702の2部屋が空いているから、隣合わせで借りないか?」と誘われた。当時高額の「光ファイバー」をシェアする案も可能になりそうだ。しかしながらKFビルは、ボニートの事務所経費の予定額を10万円ほど上回っているので「無理だ」と伝えると、(有)キャップの永山氏から「事務所をシェアしないか?」と誘われた。

KFビルの7階はメゾネットタイプで、1階・2階それぞれにトイレが付いているから、半分ずつ分けて使うことが出来る。おおいに迷ったが、ボニートには喫煙者がいて「社内禁煙」が絶対条件のテレパスやキャップとやっていけそうにない為、断念した。

断念しながらも、せっかくだからと、すぐ隣の建物(アルテール新宿)を事務所に決めた。それが現ボニートの所在地である。

早いもので、あれからもう5年の月日が経過した。


2003.1.16

●  ボニート物語 ---10

そうこうするうちに、NTTは平成8年(1996年)12月からOCNエコノミーサービスを神奈川県藤沢市と岐阜県大垣市で開始した。常時接続で月々38,000円の定額。しかもIPアドレスを16個取得出来る。

SIGの会の皆さんも検討を始めた。SIGではアナログ回線を利用しているので常時接続ではあるが速度的には遅い。OCNエコノミーの128kbpsは魅力的な速度だ。

ボニートは、平成9年(1997年)秋にOCNエコノミーの申し込みをするとともに「bonito.co.jp」ドメインの取得をした。JPNICに受理されたのは年が明けた平成10年(1998年)1月5日。サーバはUNIXベースではなく、得意のMacintoshを使うことにした。

田中求之さんの「Web Scripter's Meeting」ページを参考にしてLC475でサーバ構築する。GoLive社のCyberStudio(現在のAdobeGoLive)というソフトが気に入り、自分でページを作ってみた。それが「あぽ〜日記」のはじまりである。外向けに公開したのは平成10年(1998年)7月のことだ。

それから4年半、細々とページを更新している。


2003.1.15

●  ボニート物語 ---9

初めて「SIGの会」のMeetingに参加した日のテーマは、「会員が増えすぎたことの問題点と、今後は新規会員を増やさない方針にしないか?」ということだった。

この会に入ることでボニートに専用線が引けると思ったら、「会員は増やさない方向で考えている」ことを聞き、タイミングの悪さをのろった。

その日はハッキリした今後の方針は決まらなかったが「とりあえずホームページの募集案内を削除する」ことになった。見学という形で参加した私への配慮もあったのではないか。

予想以上に会員が増えた事の問題点としては、NOCにサーバが増えすぎた事が上げられた。NOCは(株)エミックの会社スペースを間借りしている。別の場所に別のNOCを用意することで問題は解決されるかもしれない。「別の場所、そんな場所があるのだろうか?」というところでその日のMeetingは終了した。

「SIGの会」では、サーバの設定とメンテナンスは自分でやるのがきまりだ。Linuxのうち「RedHat」を利用している人が多いという。私はUNIXは知らないから「SINGの会」に入れてもらえたとして、サーバを設定・メンテナンス出来るのだろうかという心配もある。私自身の結論も出ないまま、その日は帰った。

それから数回、SIGの会のMeetingに非会員のまま「見学」という事で参加させてもらった。「SIGの会」には私と同じように小さな会社を経営する若い社長が多い。インターネットの事、経営の事、話は多岐にわたり、楽しい時間が流れた。

今も「SIG(シグ)つながり」で話が盛り上がることがある。


2003.1.14

●  ARENAでmac.comを使う時...

先日うまく出来なかったのは、ヤッパリ設定がまずかったからだ(-_-;
(永山さん・ありがとうございます)。

環境設定ー「アカウント」ー「差出人」で
「送信に利用するサーバー」で「mac.com」のものを選択する部分が欠けていた。
ってことで、これを機会に会社用とプライベート用を使いわけしよう〜っと。

●  2月上旬に引っ越し

解約手続きや変更手続き作業を毎日やっている。
机等の引っ越しは2月上旬になりそう。
いずれにしても2月いっぱいで西新宿の事務所は撤退でござる。
くは〜ぁ。パタッ(倒れてド〜する)。


2003.1.13

●  ボニート物語 ---8

テレパスの社長・秋山氏と出会ったのは、平成8年(1996年)・「セシオン杉並」で行われた「SIG(シグ)の会」のMeeting だった。

「杉並インターネット互助会(通称SIG)」という怪しい名前のこの会は、「インターネットの専用回線を安く引こう」という画期的な試みをする会だった。

当時は専用線を引くと月々数十万円かかるので、ボニートはISDN回線でダイヤルアップ接続をしていた。大企業や大学などの研究機関には専用線が引かれ、常時接続出来る連中が増えた頃で、ボニートごとき零細企業でも常時接続出来ないかと思案した。ISDNで長い時間接続していたので、電話代もバカにはならない。

TMUGの永山氏が経営する会社(有限会社キャップ)が常時接続をしていることを聞いた。どのように工面しているのだろうか?「うちの事務所に専用線を引きたいんだけど...」と相談すると、「こういう会がある」と紹介してくれた。

SIGの始まりは、平成7年(1995年)永山氏が「10kmのアナログ専用線は月々12,000円で引けるという価格表を目にした」ことから始まった。しかしながら専用線のプロバイダ契約が高いことから、NTT料金+プロバイダ料金で月々10万円はかかる。

そこで、仲間を集めて共用することを思いついた。専用線はNOC(Network Operating Center)で分配して接続する。ただし、距離の問題がある。たまたま近くに知り合いがいたことで、杉並区でこの会が立ち上がった。それでも知り合いだけでは足りずにホームページで会員を集めたところ、そこに集まった会員の一人が(当時は有限会社)テレパスの秋山氏だった。


2003.1.12

●  yosou.jp 本日・好調!

●  ARENAで「@mac.com」送信

公私とわずに全てのメールをoyama@bonito.co.jp で受けていたが、会社名も変わることだし、公私を分けるンだ。プライベート用は、oyamatv@mac.com を使うことに決めたわけサ。

ところが受信は出来るが送信ではエラーになっちまう。
ヒョエ〜ン。なして〜?

それはですね〜(って教えてもらったばかり>永山さん・ありがとうございます)

.macは、SMTP AUTHを使う。
「環境設定...」を選び、「アカウント」の「送信サーバ」を選択。
「ユーザ認証を使う」にチェックをつけ、
「SMTP AUTHで認証」にチェックをつけ、
ユーザー名とパスワードを入れる。

これでOK!  のはずだが、まだエラー。どうして???
実は4つもアカウントを設定している。そういうのが関係しているのだろうか?
試しに新規ユーザを作って上記の設定をしたら送信が出来た!ので、そういうの関係アリ? それとも単に私の設定ミス?(or マシンが変?)
対処法をご存じの方は教えて下さい。

●  昨日はTMUG 新年会

久々にTMUGの例会に最初から参加し新年会も参加。
何ヶ月ぶりだろ? 楽しかったっス♪
初めてお会いした皆さん、よろしゅう〜お願いしますヨ〜ン。
合併に向けて仕事が山積で、二次会は遠慮して帰ったが、ホントは最後までトコトンいたかったなぁ。

●  keynote

SF Expo帰りの会員の河野さんがアップルの新しいプレゼソフト「keynote」を見せてくださった。
いやぁ〜〜〜・いいっス。
用もないのにプレゼしたくなっちゃう。
これを使って営業しちゃおっかな。ネタ探さなくちゃ。


2003.1.11

●  AppPowerBook G4 17インチ〜

17インチいいな〜。画面ひろび〜ろ。
でも来月から満員電車で通勤するのでゴジャル。
あれを持っての満員電車はやっぱ辛いだろうなぁ。
もうしばらく、PowerBook G4初代でがんばるゾイ。
12インチ? それはいらない。だって、画面が狭いんだモン
でも通勤電車に乗ったら、考え変わっちゃうかも〜(-_-;

●  やっと・・・.Mac

欲しい名前がなくてずっと取得してなかった.Macだが、やっと決めた(お金も払った)。
oyamatv でゴジャル。
前に書いたように、とりあえず「oyama.tvドメイン」を取得した(けど、まだサーバ立ててない)。.Macもそれにあわせて、oyamatvにしてみたわけよ。

ってことで、これからはMLなどは、oyamatv@mac.comに変更しまスンで、よろしゅう、お願いしますダ。さてっと、変更願いメール出しまくらなくっちゃ。


2003.1.8

●  Apple新製品いろいろ

基調講演はこちらから見ることが出来る。

Safari 出ましたね〜。

Safari(ブラウザソフト)を使ってみた。
ベータ版ながら、美しいインターフェースに仕上がっている。
使ってみると、サクサクっと表示される感じが良い。製品版が待ち遠しい。

新しいPowerBook G4のムービーはこちら。
私が今使っているのは2年前のSF Expoで発表になった初代型。
そろそろ次の機種を使いたいな〜(ボソ)
でも、3kgはちょっと重いかしらん? デカイのかしらん?


2003.1.7

●  ボニート物語 ---7

小さい会社で社員を採用するのは、大変なことだ。
私が採用される側だったら、やっぱり小さなところにはリスクがあるので、遠慮したいだろうなぁ(^-^)。それでも知り合いを通じるなどして社員が入ってくれた。

1人から2人になり、そうするうちに3人になり、4人、5人と、、、ある年、順調に仕事が増え、社員やアルバイトが増えた。

10年営業してみると、そういう調子のいい年もあるし、サッパリうまくまわらない年もある。今はそういう「波」というものを少しは感じることが出来るが、当時は有頂天になり、あっという間にスタッフは9名に増えた。

仕事の内容も変化し、「こういう仕事があるけどヤル?」というお話には、二つ返事で「やります!」と答えた。

しかし、ある時スタッフから「実はこういう仕事はやりたくないんです」という相談がきっかけで、「ボニートがやるべき仕事は何だろうか?」と考えるようになった。私はその答え探しをしているようなものだ。

なにはともあれ、スタッフが「夢」を語れる会社にしたいと願っている。


2003.1.6

●  ボニート物語 ---6

たった一人で創ってしまった「菩丹絃(ボニート)」に社員を入れたのは会社設立から4年目、平成8年の春のこと。

女性が経営する会社(しかも、たった一人の会社)に入ってくれる人はない。
いろいろと声をかけ、従姉妹の友人という女性に来てもらった。
従姉妹とよく似た感じの穏やかそうなその人は、不安もいろいろあっただろうが、兎にも角にもボニートに入ってくれた。 私と彼女の2人でのスタートが今日のボニートの基礎を創った。

私は社員を採用したことで、経営ということを考えるようになったと思う。一人で会社を創った時は、ただ登記したに過ぎず、経営などは考えていなかったと、振り返るとそう思う。

会社のルールを作る。従業員が働きやすい環境を考える。会社の在り方を考える。ボーっとしているように見えるかもしれないが、実はいろいろと考えごとをしていたわけだ(^-^)

私と従業員の考え方にはズレがある。年齢も立場も社会経験も違うから、それは当然の事だ。そのズレを確認しあいながら、納得できる妥協点を見つけて次に向かう作業は、私には案外と合ってることに気づいた。

ボニートの歴史の中で特筆すべきは彼女が入社してくれたことだ。
それがなかったら、今日のボニートはなかった。

社員第一号の女性はその後ボニートを辞め、幸せな家庭を築いていている。


2003.1.5

●  ボニート物語 ---5

「菩丹絃(ボニート)」は「音楽制作業」として設立した。
音楽制作の仕事のあても少しはあったし、ニーズもあるはずだと信じた。
しかし「菩丹絃」を設立した平成4年は、バブルがはじけ、日本中に暗い空気が漂っていた。広告費は削減されてしまった。

「菩丹絃」の収入源はMacのメンテナンス業務になった。
当時主流だったNEC98はスタンドアローンで使う。そこに出現したMacはネットワーク化に対応し、プリンターを共用し、社内メールを簡単に使える画期的なものだった。それを大手企業が導入したので、導入の際のインストラクター業務とよろず相談がメイン業務になった。

それでも目白の事務所には、しこたま金をつぎこんだ音楽機材一式を置いて夢を見ていた。昔の機材は大きくて場所を取る。それが次第に邪魔になり、西池袋に移転する時に、とうとう音楽制作業をメイン業務にすることは諦め、機材のほとんどを売り払った。

あれだけ金をかけた機材類は、二束三文になった。
最初に買ったフェンダー・ローズ・ステージ、YAMAHAのDX7(初代)、KORG M1などの名機を次々にワゴン車に積まれた時には、思わず、目頭が熱くなったことを覚えている。ワゴン車の後ろを呆然と見送りながら、「ボニートをちゃんとした会社にするゾ」、などと誓った。


2003.1.4

●  ボニート物語 ---4

「どうして会社を創ったのか?」と聞かれることが多い。
「どこにも入れなかったから」と答えている。
「Macと出会ったから」と答えることもある。

その2つは確かに後押しにはなったが、もしも、まともな会社に就職したとしても、もしもMacと出会わなかったとしても、私は会社を創っていたのではないかと思う。

私の実家は何代か続いた商家で、事業を起こすことを考えるのは、皆さんが高校を出た後は大学に行こうかなと考えることと同じくらい、ごく自然のことだ。
(ただし、女性は、「商家の嫁になる」ということだったが)

そういう環境で育つと、仕事するなら、いずれは起業しようという意識が私のDNAに染みこんでいるようだ。企業家などと、たいそうなことではなく、商人として物事を考えていることに気づいた。

折良く、平成2年の法改正(平成3年4月1日施行)により、有限会社は一人役員(社員)での設立が可能になったことと、Macを使って何か出来るかもしれないという大ざっぱな見通しで会社設立に踏み切った。

今にして思えば、なんとも世間知らずな話ではある。


2003.1.3

●  ボニート物語 ---3

「菩丹絃」は、京王線/千歳烏山駅下車・徒歩10分のところ、世田谷区給田4丁目でスタートした。私の自宅(いわゆるワンルームマンション)で登記した。

その後、目白に移転し(この後で社名をボニートと変更)、西池袋に移転し、そして西新宿に移転した。西新宿が一番長くて5年ほどになる。

目白移転の時に事務所と自宅を分けた。
事務所に借りた建物は山手線沿いにあるから、そこを電車で通る時、窓越しにそれを見ては、当時を懐かしく思う。

事務所にお金をかけられなかったので、安さで選んだその建物は線路沿いでうるさかったし、半地下なため、日が当たらなくて年中、暗かった。
2年目の更新をせずに西池袋に移転した。

目白の事務所と西池袋の事務所は徒歩8分くらいだったので、台車で往復しながら引っ越しをした。冬だったけれど、汗だくで移動したことを覚えている。たいした荷物がなかったし、目白は道幅が狭くて車が入りにくい場所だった。

西池袋の事務所は池袋駅・徒歩2分と便利だった。
駅から10分ほど歩けば、同じ値段で少し広いところが借りられたが、狭くても駅に近いところという希望で選んだ。
部屋の間取りが三角で、それでもいいかと思ったが、やっぱり使いにくい。
人が増えると同時に移転した。

今いるスタッフの半分は、西池袋の事務所で面接をした。


2003.1.2

●  yosou.jp について

「競艇は知らない」という方も多いかもしれない。
かく言う私も知らなかった(^^;
私は、競馬もパチンコも麻雀もしないし、宝くじも買わない。

そういう人が代表を務めるボニートがなぜ、競艇予想を始めるにいたったか、と話し出すと長くなるので、それはまた後日ということで、案外と競艇の予想はおもしろい。

まず6号艇の中から、1着、2着を当てるのだから、競馬と比べて当たる確率は高くなる。

また、「競艇オフィシャルWEB」が充実していて、出走表や選手情報がいち早くアップされる。競艇場まで行かなくても、ネット上で情報を集めて予想するのもおもしろい。レース状況をストーリーミング中継するのも早かった。つまり、インターネット向け、パソコン向けなのだ。

さらに、「らくらく投票システム」を使うことで、iモードやインターネットから(100円単位)で投票できる。

●  ボニート物語 ---2

「BONITO」は、魚の「かつお」という意味で付けた。
名前を付けることは案外と難しい。最終的には自分が納得すればいいのかもしれない。

実家は代々、魚問屋を営んでいる。
育った町は魚町(さかなまち)。そして、私は魚座生まれ。

魚にちなんだ名前にしよう。

和英辞典を調べて、いくつか候補をあげ、その中から「bonito」を選んだ。
鰹は、戦国時代には、戦の前に食べる縁起のいい魚であることもわかったし、江戸っ子には「初鰹」として重宝された。地元・気仙沼のかつおの水揚げ量は日本一だし、これでいっか。

後になって、bonitoはスペイン語で「美しい」という意味を持つことを知った。
ただし、男性に対して美しいはbonitoで、女性に対して美しい・かわいいはbonita(ボニータ)を使うらしい。

ボニートは、よくボニータと間違えられた。


2003.1.1

●  謹賀新年

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
昨年の「MOSA湘南セミナー」と「アップルユーザグループ懇親会」でデモを見た「LIFE with PhotoCinema」を使ってフォトシネマを作ってみた。
正月だからいいかなと思い、音もつけたままでアップしたのサ。

けど、ローカルで見るのと違って、読み込みに時間がかかるので、あっという間に削除した(開かなくてイライラした方、申し訳ないっス)。
写真の数を制御するとか、サーバを速い回線上に置くとか、ちょっと考えようっと。

LIFE with PhotoCinema」楽しいよぉ〜ん♪

●  yosou.jp 本日の結果

本日、未明から「yosou.jp」(競艇予想サイト)をオープンした。
本日(初日)の結果は、的中率が高い!
ひとまず安心のスタートを切った。ホッ♪

●  ボニート物語 ---1

今月いっぱいで「有限会社ボニート」はなくなり、新たに「テレパス株式会社」になる。
ボニートという社名がなくなるだけだが、10年という区切りでもあるし、本日から1ヶ月間、思い出話をしたい。

ボニートは、設立当時は漢字で「菩丹絃」と書いた。
アルファベットで社名登録が出来ないことを知らずに「BONITO」という名前を考えた。法務局に「類似商号」を調べに行ったところ、「アルファベットでは登記出来ない」と言われてガーン(アルファベット登録が可能になったのは2002年11月1日で、つい2ヶ月前のことだ)。

カタカナで「ボニート」を思ったが、カタカナではイメージが違うと考え、漢字で当て字を考えた。漢和辞典を調べて付けただけで、特に漢字には意味はない。

「ボ」は「菩薩の菩」でいっか。
「ニート」とのばす漢字はないよね。
しょうがないから、「ニ」と「イト」の漢字を当てて、「ボニイト」ということにした。「ニ」は「丹」を付け、「イト」は「絃」にした。「絃」には弦楽器の意味もある。合わせると「菩丹絃」となる。ちょっとやそっとでは読めないのもいいかなと思った。

しかし、結果的にこれは失敗で、パソコンでの漢字変換も面倒くさいし、領収証を書いてもらう時も面倒きわまりないので、一人目の社員を採用した後すぐにカタカナで「ボニート」と社名変更した。

漢字の「菩丹絃」を知る人は、今では少ない(と思う)。